訃 報

 各位

2006年12月21日
新橋法律事務所
電話:03−3503−8588

新美隆(にいみたかし)儀、2006年12月20日午後8時45分 心不全により逝去いたしました。享年59歳。謹んでご訃音申し上げます。

通夜、告別式は築地本願寺で執り行います
通 夜 2006年12月29日(金曜日)17時から19時
告別式      12月30日(土曜日)11時から13時    
出棺  13時    


新美隆 略歴
島根大学法科大学院教授・弁護士

1947年4月15日 愛知県生まれ
1972年      東京大学法学部卒業
1972年4月    司法修習生(第26期)名古屋修習
1974年      弁護士登録(東京弁護士会)
1975年      新橋法律事務所開設

1987年〜88年  東京経済大学非常勤講師
1989年〜91年  和光大学非常勤講師
1986年〜 現在  町田市法律相談担当、顧問弁護士
2004年4月〜   島根大学法科大学院教授(公法、国際法担当)

その他
 アジア人権基金理事
 NPO花岡平和友好記念会(秋田県大館市)理事
 花岡平和友好基金運営委員会(北京)運営委員

1966年4月、名古屋工業大学に入学。翌67年再受験して、東京大学文科一類(法学部)に入学。71年10月司法試験に合格。72年3月東京大学法学部卒業。74年弁護士登録後、永山則夫連続射殺事件、4・27反軍裁判(反戦自衛官懲戒免職処分取消請求訴訟)などの弁護人、代理人をつとめる。
 1986年、在日コリアンの韓宗碩(ハン・ジョンソク)さんが外国人登録時の指紋押捺を拒否した事件で弁護人となった。また、大島渚監督の「忘れられた皇軍」の主人公である朝鮮人元軍属の石成基さん陳石一さんの朝鮮人軍人・軍属戦後補償請求訴訟、東京都管理職試験受験資格確認訴訟(鄭香均さん訴訟)などを担当してきた。
 1986年、中国人強制連行の象徴である花岡事件の在日中国人被害者による対鹿島建設交渉の代理人となり、さらに90年以降、在中国の花岡事件生存者・遺族の代理人として交渉し、鹿島が「深甚なる謝罪」を明らかにした90年7月5日の「共同発表」とりまとめに尽力した。5年に及ぶ直接交渉をへて、花岡事件50周年の95年6月28日、東京地方裁判所に鹿島建設に対する中国人被害者(生存者・遺族)11名を原告とする損害賠償請求訴訟を提起、弁護団長をつとめる。97年12月一審敗訴後、控訴審の東京高等裁判所は職権和解を開始、利害関係人として中国紅十字会の参加を得て、2000年11月29日、花岡事件被害者全体の解決をもたらす花岡和解を実現した。また、中国人強制連行・西松安野事件では、中国人被害者5名を原告とした損害賠償請求訴訟の控訴審で弁護団長となり、2004年7月9日、原告の全面的勝訴の判決を導いた(最高裁係属中)。
 2003年12月からは、枝川の朝鮮学校に対する東京都(石原慎太郎知事)の敷地明け渡しと地代相当金の支払請求訴訟において、在日朝鮮人の民族教育の権利擁護の立場から弁護団長として裁判をすすめてきた。

担当した主な裁判
 4・27反戦自衛官懲戒免職事件
 指紋押捺拒否事件
 永山則夫連続射殺事件
 中国人強制連行・花岡裁判
 在日軍属援護拒否取消請求訴訟
 オランダ民間抑留者賠償請求訴訟
 イギリス・アメリカ・オーストラリア・ニュージーランドPOW賠償訴訟
 中国人強制連行・西松建設裁判(最高裁上告中)
 東京都保健婦管理職受験拒否訴訟
 枝川朝鮮学校裁判(東京地裁係属中)

著書の関係
近著に、最近の憲法9条改定・「自衛軍創設」の問題性を兵士の基本的人権の視点で鋭く指摘し、中国人強制連行の損害賠償裁判の今後を拓く「安全配慮義務法理」を明らかにした『国家の責任と人権 軍隊規律論・安全配慮義務の法理』(結書房発行・桐原書店発売)がある。

以上